YOUTUBE SCRIPT SAMPLE — 恋愛スカッと系/朗読

立て替えた262万円の行方
〜式の一ヶ月前に婚約破棄された、記録を残す女の話〜

自主制作サンプルです。クライアント案件ではありません。全編フィクションで、実在の人物・団体とは関係ありません。本ページはフル尺の全文を掲載しています(朗読形式のため、語り手1名がセリフも含めて読み上げます)。
ジャンル恋愛スカッと系(朗読・一人称)
想定尺約19分(フル尺・全文掲載)
文字数本文実測 6,017字
書式朗読本文(語り手1名。収録用シートは読み方指示・読み仮名を手入力済み)

この台本で見ていただきたいところ

ナレーション悪いけど、結婚はなしにしてくれ。俺、白瀬さんのところのお嬢さんと一緒になることになったから
ナレーション婚約者の佐野蓮司がそう言ったのは、結婚式まであと一ヶ月という日の夜だった。私はテーブルの上で、招待状の返信はがきを数えている途中だった。七十三枚。そのすべてに、ご出席の丸がついていた。
ナレーション・・・今、なんて言ったの?
ナレーション聞こえただろ。俺は降りる。前に言ったよな。結婚は条件だって
ナレーション蓮司は靴も脱がずに玄関に立っていた。三年付き合って、一年半かけて式の準備をして、新居の頭金を入れた部屋の鍵は、私のバッグの中に入っている。それでも彼の顔にあったのは、面倒な報告をひとつ片づけたという表情だけだった。
ナレーション式の費用は君が立て替えてるんだよな。まあ、君が勝手に払ったんだから、君のほうで何とかしてくれ
ナレーションこのとき私は、泣かなかった。追いすがりもしなかった。ただ、いつもの手帳を開いて、日付と時刻と、彼が言った言葉をそのまま書き写した。
ナレーション半年後、この手帳の中身が、彼と彼の家族を一人残らず黙らせることになる。私は一円も損をしなかったし、誰にも怒鳴らなかった。正規の窓口に、記録を出しただけだ。
ナレーション私の名前は三崎ひなた。二十九歳。住宅資材メーカーの経理課に勤めている。数字を一円単位で合わせるのが仕事で、性格もたぶんそっちに寄っている。
ナレーション蓮司と出会ったのは三年前、取引先との懇親会だった。住宅設備の営業をしている彼は、場の空気を読むのがうまくて、誰にでも好かれていた。付き合いはじめて半年ほど経った夜、彼はワインのグラスを回しながら、こんなことを言った。
ナレーション俺さ、結婚は条件だと思ってるんだ。愛とか勢いとかじゃなくて、条件。釣り合わないと思ったら、俺はいつでも降りるよ
ナレーション私は笑って聞き流した。冗談の顔をしていたし、そのあとすぐに、まあ、ひなたとは釣り合ってるからさ、と付け足したからだ。今なら分かる。あれは冗談ではなく、宣言だった。
ナレーションもうひとつ、忘れられない言葉がある。同棲を始めた月のことだ。私は家賃と光熱費と食費を項目ごとに分けて、二人分の家計簿を作った。彼はそれをのぞき込んで、鼻で笑った。
ナレーションうわ、細かい!一円単位で記録する女なんて、貧乏くさくて一緒にいられないな
ナレーションでも、あとで揉めないためだよ
ナレーション揉めないよ。金の話をいちいち紙に残すのがみっともないんだって。俺は口約束で十分だと思ってる
ナレーション彼は本当に、何ひとつ書き残さない人だった。仕事でも同じらしく、商談の内容も約束もすべて頭の中だけで管理していると自慢していた。書かない男。そのことを、私はただの性格だと思っていた。
ナレーション式場を押さえたのは、去年の春だった。内金の八十万円を、私が自分の口座から払った。
ナレーションボーナスが出たら半分返すから、とりあえず立て替えといて
ナレーション蓮司はそう言った。夏のボーナスは出た。返金はなかった。冬のボーナスも出た。やはりなかった。私が一度だけ切り出したとき、彼は心底うんざりした顔をした。
ナレーションまだその話してんの?式が終わってから精算すればいいだろ。今から一円単位で言われると、こっちも気分が乗らないんだけど
ナレーション新居の頭金も同じだった。百五十万円。私の貯金から出した。彼は、男の側が全部出すとあとで君の親御さんに気を遣わせるから、と言った。理屈になっていない理屈だったけれど、そのときの私は、気を遣ってくれているのだと受け取ってしまった。
ナレーション衣装の内金。写真の前払い。引き出物の手付。そのたびに私は明細を残し、彼に一度だけ見せて、そのつどあの顔をされた。だから途中からは、見せるのをやめた。見せるのはやめたけれど、記録を取るのはやめなかった。
ナレーション打ち合わせに、彼は一度も来なかった。八回のうち八回とも、仕事だと言って欠席した。会場のプランナーの成瀬さんは、そのたびに気の毒そうな顔をして、それでも私の隣に座って一緒に決めてくれた。
ナレーションドレスも一人で決めた。試着室の鏡の前で、私はスマートフォンで自分を撮って蓮司に送った。返事は次の日の昼に来た。ひとこと、どれでもいいよ、だけだった。成瀬さんはその画面を見ていないふりをして、三崎さまには二着目がお似合いですと言ってくれた。
ナレーション三崎さま、支払いの控えは全部お手元にありますか。もしよかったら、こちらの記録も後日お渡しできますので
ナレーションなぜそんなことを言うのだろう、と当時は思った。あとで分かったことだけれど、成瀬さんは同じような光景を、この仕事で何度も見ていたのだと思う。
ナレーション一度だけ、蓮司の同僚たちの飲み会に呼ばれたことがある。彼は私を隣に座らせて、こう紹介した。
ナレーションこいつ、経理なんですよ。うちの財布係。俺、金のことは全部こいつに投げてるんで
ナレーションテーブルが笑った。私も笑った。笑いながら、この人は私の仕事を、自分のお金を管理させる係だと思っているのだと気がついた。帰り道で、一度だけ聞いてみた。
ナレーション私の仕事、そんなに恥ずかしい?
ナレーションは?褒めてるんだって。冗談が通じないな、ひなたは
ナレーション彼の中では、たぶん本当に褒め言葉だったのだと思う。
ナレーション蓮司の母の芳子さんは、会うたびに同じことを言った。
ナレーションうちの蓮司はこれから伸びる人ですからね。ひなたさんは支えるほうに回ってちょうだい。経理なんて誰にでもできるお仕事なんだから、結婚したら辞めて、家に入ればいいのよ
ナレーション妹の詩織さんは、私をお義姉さんと呼びながら、二度お金を借りていった。合わせて十二万円。返ってきていない。彼女は借りるとき必ずこう言った。
ナレーションお義姉さん、身内なんだから、こんなの記録とかしないですよね?
ナレーション私は笑ってうなずいて、家に帰ってから、日付と金額を手帳に書いた。借用書までは作らなかった。身内にそこまでするのは角が立つと思ったからだ。
ナレーションおかしいと思う場面は、いくつもあった。それでも私は、この結婚から降りられなかった。
ナレーション招待状はもう七十三通、出してしまっていた。私の両親は彼を気に入っていて、父はスピーチの原稿を三回書き直していた。それに何より、立て替えたお金がある。合計で二百六十万円を超えていた。ここでやめたら、この二百六十万円は本当にただの穴になる。結婚してしまえば、いずれ家計として戻ってくる。私はそう自分に言い聞かせていた。
ナレーション引き返せない理由が積み上がるほど、人は目の前のことを見ないようになる。私はその見本のような一年半を過ごしていた。
ナレーション婚約が終わった翌週、私は事情を知った。
ナレーション蓮司の勤め先の取引先に、白瀬工業という会社がある。彼が半年前から担当になった会社で、社長の一人娘が白瀬ゆかりさんという人だった。蓮司は私と暮らしながら、彼女と会っていた。私に、仕事だと言って打ち合わせを欠席した日の何日かは、そちらの日だったことになる。
ナレーション芳子さんから電話が来たのは、そのすぐあとだった。
ナレーションひなたさん。立て替えたなんて言いがかりは、やめてちょうだい!式のお金は女性の側が出すものでしょう!うちの蓮司はこれから白瀬さんのお嬢さんと一緒になるの。傷をつけないでちょうだいね
ナレーション言葉が出なかった。傷、と彼女は言った。傷をつけられたのは誰なのか、この人の中では最初から決まっているらしかった。
ナレーション電話を切ってから、私は久しぶりに手帳を最初から読み返した。日付。金額。振込の控え。彼の言葉。母親の言葉。妹に貸した十二万円。一年半分が、全部そこにあった。
ナレーション貧乏くさい、と笑われた記録だ。
ナレーション私は会場に連絡を入れた。成瀬さんは事情を聞くと、その日のうちに支払い履歴の一覧をまとめて送ってくれた。誰の名義で、いつ、いくら入金されたか。全部私の名前だった。彼の名前は、一度も出てこなかった。
ナレーションそれから、招待状を出した七十三人に、結婚がなくなったことを知らせた。全部、私が連絡した。会社の上司にも、遠方の親戚にも、学生時代の友人にも、一人ずつ電話をかけた。理由を聞かれたら、事実だけを答えた。婚約者の側から、結婚式の一ヶ月前に破棄されました、と。
ナレーション蓮司からは、その七十三人の誰にも、一本の連絡もなかった。彼にとって招待客は、自分が呼んだ人ではなく、私が勝手に呼んだ人だったのだろう。この電話が半年後にどう効いてくるかを、このときの私はまだ知らない。
ナレーション三日かけて七十三件の電話を終えた夜、私は自分でも驚くほど落ち着いていた。悲しいというより、帳簿が合っていくときの感覚に近かった。
ナレーションそれから、大学のゼミの先輩に連絡した。藤沢さんという人で、今は弁護士をしている。二十分ほど話を聞いたあと、先輩は静かにこう言った。
ナレーション三崎さん。あなた、恐ろしいほどちゃんと残してるね。こういう案件でここまで揃っているのは珍しいよ。私に任せてもらえる?あなたはもう、あの人と直接話さなくていい
ナレーション私は、そこで初めて泣いた。
ナレーション三週間後、佐野家に内容証明郵便が届いた。立て替え金の返還請求と、婚約を一方的に破棄したことに対する慰謝料の請求。金額は合わせて三百五十万円を超えていた。
ナレーションその日の夜、私のスマートフォンが鳴り続けた。着信は十七件。全部、芳子さんからだった。私は出なかった。翌朝、藤沢先輩から連絡が来た。
ナレーション先方のお母様から事務所に電話がありました。あれは口約束で、うちの息子は返すつもりだった、と主張されていますが、証拠はないそうです。こちらには振込記録も、会場の入金記録もある。・・・三崎さん、先方、示談を希望されています
ナレーション口約束で十分だと言ったのは、彼のほうだった。
ナレーション示談は成立した。立て替えた二百六十二万円は全額、慰謝料は百万円。詩織さんが借りていった十二万円も、そこに含めてもらった。芳子さんは最後まで、うちの蓮司は悪くない、と言い続けたそうだ。反省の言葉はひとつもなかった。
ナレーション支払いが終わって二ヶ月ほど経った頃、蓮司の婚約が破談になったと聞いた。
ナレーション白瀬工業の社長は、娘の相手を娘の目だけで決めるような人ではなかった。結婚の前に、蓮司の身辺をきちんと調べさせたらしい。そして、いくつかのことが出てきた。前の婚約者に三百七十万円あまりを支払っていること。その婚約期間中に、ゆかりさんと会っていたこと。
ナレーション社長に問われたとき、蓮司は何ひとつ示せなかったそうだ。自分の側の言い分を裏づける記録が、彼には一枚もなかった。契約書も、メモも、やりとりの控えも。ぜんぶ頭の中で管理していると自慢していた男が、いざ自分の潔白を示す番になって、白い紙一枚出せなかった。
ナレーション条件が揃わない人とは、娘を一緒にできません
ナレーション社長はそう言ったという。彼が三年前に私に語った言葉と、ほとんど同じ形をしていた。
ナレーションその後、彼は白瀬工業の担当を外れたそうだ。取引先の社長令嬢との話がああいう形になった以上、当然だったのだと思う。ただ、外れたあとのほうが問題になったと聞いた。引き継いだ後任が、彼の商談記録を探しても何も出てこなかったのだ。値引きの約束も、納期の口約束も、全部彼の頭の中にしかなかった。
ナレーション後任の人は取引先を一軒ずつ回って、頭を下げて、記録のない約束を確かめて歩いたという。彼が誇っていたやり方は、彼が一人でいる間だけ成立するやり方だった。
ナレーションもうひとつ、私の耳に届いた話がある。佐野家の親戚の集まりで、芳子さんは、息子が婚約者に振り回された、と話していたらしい。被害者の側として話したかったのだと思う。けれど、その席にいた人たちの多くは、あの七十三件の電話のうちの一件を受け取っていた。私が事実だけを伝えた、あの電話だ。
ナレーション嘘は、聞いた人が全員事実を知っていると成立しない。芳子さんはその集まりのあと、親戚づきあいの輪から静かに外れていったと聞いた。
ナレーション蓮司が家の前に立っていたのは、その二週間後の夜だった。半年ぶりに見た彼は、ずいぶん痩せていた。
ナレーションひなた。やり直したい。俺、間違ってた。君しかいないってやっと分かったんだ
ナレーション白瀬さんとの話がなくなったから?
ナレーション関係ないよ。俺が本当に必要なのは君だって気づいたんだ。君だって、まだ俺のこと
ナレーション私は彼の言葉を最後まで聞かなかった。あのとき玄関に立っていた彼と、今そこに立っている彼が、同じ顔で同じことを言っている。それが不思議で、少しだけ体が冷たくなった。
ナレーション結婚は条件、なんでしょう
ナレーション彼が黙った。
ナレーション釣り合わないと思ったら、いつでも降りる。あなたがそう言ったのよ。だから今度は、私が降りるの
ナレーション彼は何か言いかけて、口を開けたまま立っていた。私は玄関を閉めた。鍵をかける音が、思ったよりも静かだった。
ナレーションそれで終わりではなかった。年が明けた頃、芳子さんから手紙が来た。示談金の返還を求める内容だった。あのお金は蓮司の将来のために必要だった、女性なら情けというものがあるでしょう、と便箋三枚に書いてあった。私は封筒ごと藤沢先輩に送った。先輩からの返事は一行だった。こちらで処理します、二度と届きません。
ナレーション詩織さんからも連絡が来た。来月入籍することになったので、お祝いを前借りさせてほしい、という内容だった。文面の最後には、あの一文が添えてあった。
ナレーションお義姉さん、身内なんだから、こんなの記録とかしないですよね?
ナレーション私は一度だけ返信した。
ナレーション以前お貸しした十二万円は、記録が残っていたので、示談金に含めて返していただきました。あなたのお兄さんのお母さまからです。今回のお話は、そちらのご家族にどうぞ
ナレーションそれきり、連絡は来なくなった。誰も、一度も謝らなかった。あの家の人たちは最後まで、自分たちが何かを失ったとは思っていないのだと思う。
ナレーション蓮司の近況は、共通の知人から一度だけ聞いた。彼は今も同じ会社にいて、飲みの席になると私の話をするらしい。あの子が全部を弁護士に丸投げしたせいで、俺の人生は狂った。話し合いをする気があれば、こんなことにはならなかったのに。そう言っているそうだ。
ナレーション話し合いをやめたのは、玄関で靴も脱がずに、君のほうで何とかしてくれと言ったほうだった。
ナレーションあれから一年半が経った。私は同じ会社の経理課にいる。一円単位で数字を合わせる、貧乏くさいと笑われた仕事だ。今はこの仕事に、少し感謝している。
ナレーション去年の秋から、会場のプランナーだった成瀬さんとときどき食事に行くようになった。彼女は結婚式の話を一切しない。代わりに、来月一緒に登る山の話ばかりしている。頂上で食べるカップ麺がいちばんうまいのだと、真顔で言う人だ。
ナレーション手帳は今も同じものを使っている。書いてあるのは、もう金額ではない。友達と会う約束と、山の名前と、次に行きたい場所だ。
ナレーション来年の春には、あのとき返してもらった二百六十二万円に少しだけ足して、小さな部屋を買おうと思っている。今度は誰の名前も入っていない、私だけの部屋を。

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